1年前の今日。。
2022年1月19日のことは鮮明に記憶している。
鮮明に・・とはどちらかと言えば、感情の記憶の方だが・・
その日、かかりつけ医からの紹介で精密検査を受けに行った。
内診と血液検査とMRI検査の後、婦人科の医師から「卵巣ガンです」と告げられた時、頭が真っ白になった。

だから、医師の話を冷静に聞けてはいなかっただろう。
これは、こういう場面に遭遇した人でなければ分からないだろう。
頭をよぎったのは『死』だ。
「死ぬんだ・・私」
医師が、「早く手術したいので、手術日を押えましたから・・」と言う。
手術日は2月22日だという。
相当、悪いのか?そんなに急がないといけないほど悪いのか?
「えっと・・仕事が・・職場に聞いてみないと・・」と言う私に医師がスッパリこう言った。
「もう、開き直って」
「はい・・わかりました・・」
あれから、1年が経った。
結果的には、私は今も生きている。
今思えば、宣告されてから手術日までが一番きつかった。
入院するまでの1ヶ月、「仕事してる場合なのか?」と自問自答の日々。
でもこの時はまだユニットリーダーをしていたので・・
がんばるしかなかった。。
ただでさえ、人手不足なのに・・と。
迷惑をかけてはならない・・と。
まぁ、かけるんだけど。。
これから長期で休むことになるだろうから。
しかし、この時点では施設長や部長しか私の病名を知らないし、長期療養に入るだろうことも知らない。

たまに、キリキリと腹部や背中が痛むと・・ガンが進行しているのではないか?とか、大きくなった卵巣が破裂してしまうのではないか?とか・・そんなことを考えた。
そして、スタッフの笑い声や普段通りの会話を聞いていて、「あぁもうこの人達と私は世界が違うのだ」とまるで自分だけ、切り離された世界にいるような気分になったものだ。。
この人たちは生き続ける、私は・・死ぬのか・・
こんなことを思った。
おまけに、特別養護老人ホームの入居部で働いているので、90歳や100歳のじいちゃん、ばあちゃんの食事介助をしながらこうも思った。。
「あぁ、この人たちより若い私が早く死ぬなんて・・」と。
ガンになった人ならこの気持ち、理解できるだろう。
今までの人生で一番ツラい経験であったことは確かだ。
だが今、こうして生きている。
なぜ生きられたのか?

それは・・
『生きると決めたから』
あの時、、死ぬのだ・・いや死にたくない・・でも死ぬのだ・・と頭の中をグルグルと絶望がよぎった。
白旗を上げて降参か?
死を受け入れるか?
生きるのを諦めるか?
こんな声が聞こえるような・・
「いや、死なない。死んでたまるか!」
「死にたくない」ではなく・・「生きたい」に変えた。
さらにもっと強い意志の言葉に変えた。
『生きる!』
『私は生きる‼』
願望より、意志の方が強力なのだ。
「生きる」と決めさえすれば、人間の脳は「生きるために何をすればいいか」を答えを探し始めるのだから。。