3連勤疲れた💨

私の職場は、特別養護老人ホーム♿

職場復帰から早や、1ヶ月が過ぎた。

復帰するやいなや、ユニットにコロナ感染が拡がり、レッドゾーンに!😱

ユニットのスタッフ6人中、3人が感染し、人手不足に陥った・・。

そして毎日のように、PCR検査。

残業もしたし、日中は2人勤務でがんばった。。

周囲から「復帰したばっかりなのに大変ね。。(感染しないよう)気をつけてね」と温かい言葉はかけてもらったが・・・

「あなたをレッドゾーンで働かせるわけにはいかないね。病気が病気だからね」などと部長は一切言わなかったよなぁ🥺

そう、そんな甘っちょろい職場ではない。介護施設は。。

いっそ、私たちも陽性になったがいいかも・・休めるし・・

なーんて思ったりもした・・😫

コロナが終息した後、部長が私に言った。「あなたが感染しないか心配だったのよ」

終わってから言うんかーい❗🤣

まぁ、感染しなかったから良かったんだがね・・

しかし・・復帰した直後に、ユニットがレッドゾーンになるとは・・

でもなんか・・話のネタにはなる。

普通の体験はフツーだもんね。

大変だった事や、普通じゃない出来事は面白いっちゃあ、面白いではないか⁉

その渦中にいる時はそう思えないけどねー😅

そんなこんだで復帰した9月はコロナ騒動に振り回された。。

副作用の手足のしびれは、いまだ継続中。

ただ仕事中は、気合が入っているのかほとんど気にならない。

半年の療養生活で筋肉が落ちたせいか、膝から下が痛む。。

よくこれで、入居者さんの移乗ができるものだ・・と思うが・・

やはり気合なのだろう。

この強い自分の体に感謝だ。。🙏

さ、明日は休みだ。ゆっくりしよう。

ついにクラスター発生~将来を考える😓

ユニットの職員2人がコロナ陽性となり、入居者1人も陽性となり、先日入院🏥した。

そして昨日、新たに2人の入居者さんが陽性となり、入院となった。

昨日の朝、ユニットの残りのスタッフ5人は、またまたPCR検査を受けた。

幸い、全員陰性だった😌

ここ1週間、休みのたびにユニットの職員が陽性になったと連絡が入り、気が気ではなかった💦

介護施設でコロナ感染者が出ると、とんでもないことになる。

まず、入居者さんに感染してないか・・が一番重要なことだ。

そして、クラスター対策として感染対策が強化される。

各居室がレッドゾーンになり、居室に入る前に二重マスク、フェースシールド、手袋、エプロンの完全防備となる。

入居者さんやユニットの外に感染を拡げないように対策が打たれる。

だから、やるべきケアは最小限に、部屋に入ったらいっぺんに用事を済ませる必要がある。

いつもの仕事の動きではないので、神経を使う。実際、昨日も疲れた😵

おまけに部長がちょこちょこユニットに来て、ああしろこうしろ・・と。。

そして、それに時間を取られさらに忙しくなる・・みたいな・・😫

しかしなぁ・・

職場復帰したと思ったら、ユニットがクラスターになるとは。。

どういうことだ⁈

復帰直後だから、ボチボチ体を慣らそうと思っていたのに・・

起こる出来事は意識しようがしまいが・・・引き寄せた?

職場復帰してしまえば、病み上がりだろうと、基礎疾患を持っていようと、容赦なくレッドゾーンに入らなければならなくなる。

感染しても自己責任だ。

何とかこのハードワークに耐えてはいるが・・

これから先どうなるだろう?

60歳までこの仕事をやれるだろうか?

基礎疾患はさておき、体力的にも精神的にも・・

 

①ケアマネに転向するか?

②それとも責任の少ないパートに降りて、やりたいこと(副業)を始めるか?

2つの選択肢がここ数日間、私の頭の中をよぎる。

『ソース』というタイトルのこの本。

ウスターソースやとんかつソースのことではない😁

 

今ちょうどこの本を読んでいるが、『私たちのワクワクは生まれつきのもので、それには存在意義があります。自分のワクワクに気づき、それを充分に生活の中で生かしきり、最終的にはそれを使って社会や人類に貢献すること。それがこの世に生を受けたあなたの存在意義なのです』・・とある。

誰だって好きなことを仕事にしたい。ワクワクする仕事をしたい。

でも・・生活が、、収入が、、と思ってしまうのだ。

今いるところが安全だから・・と安定を選んでしまう。

私も例外ではなく。。

半年ぶりの職場復帰とこのコロナ騒動によるハードワークはこんなことを考えさせてくれるキッカケともなった。

またまた職員が感染!😫

今日私は2日ぶりの休みだった。

朝、ユニットスタッフからのグループLINEが来た。

「すみません、抗原検査したら陽性でした。ご迷惑おかけします(泣く)

〇〇さん(私の名前)、昨日一緒に仕事したから大丈夫ですか?」

そう、昨日私はこのSさんと勤務が同じだった。

けっこう話もした。二重マスク、フェースシールドはしていたけれど。

Sさんは熱が37.4℃で倦怠感があるらしい。

私は何の症状もない。

とりあえず、職場からもらっている抗原検査を自宅でやってみた。

線が1本しか出てないから陰性だ!よかった~😌

これが2本出ると陽性だ。

でもな~、Sさん、昨日は元気だったよな。どこで感染したんだろう?5日前に陽性になった職員Kさんとは勤務がずっと被ってなかったし。

ましてや、一昨日コロナ陽性で入院した入居者さんとも彼女は接触してないし。

職場の外で感染したのだろうか⁉

いよいよ、身辺が怪しくなってきた・・🙀

自分の体調変化に気をつけよう。

感染して無症状ということはないだろう。

1ヶ月前に、職場に戻るリスクを主治医T先生に聞いてみた。

ガンの基礎疾患があるからだ。

私の職場は介護です。コロナが流行ってる時期に復帰しますが、大丈夫でしょうか?と。

主治医は、スッパリ「大丈夫です」と言い切ったが・・?🥺

更に私は念を押した。

「万が一、感染して、重症化したとして、大丈夫ですか?」にも「大丈夫」とハッキリ言ったなぁ。

おそらく医学的根拠に基づいて、私の場合は重症化リスクが高くないと判断したのだろう。

また一人スタッフが減り、忙しくなる、他にもいろいろ考えることもある・・

コーヒー☕でも飲んで、チョコレートでも食べて、心を落ち着けるとするか。

いいことも悪いことも経験。

生きてる間だけのこと。

流れにまかせよう。手放してラク~に考えよう。

コロナ感染者が出た!🙀

9月6日、休日の私に部長から電話があった。

「Kさん(同じユニットの女性職員)が、コロナ陽性になったの。あなた、Kさんが夜勤入りの日と明けの日、勤務が一緒だったでしょ。」と。

「えー‼マジか~😵、おいお~い」と心の中で思った。

しかし、冷静なふりをして、話を聞き続けた。

どうやら、部長はKさんと私がどのような距離感で会話したのか、同じ時間と空間をどのような状況で過ごしたのか・・を知りたかったらしい。

「保健所に報告しないといけないのー!」と言った。

あの日は・・そうね、けっこういっぱい話をしたな。フェースシールドは・・スタッフ間の会話だったから、着けてなかったな。窓は開いていたので風通しはいい状態だった。そんなに近距離で話はしなかった。

「濃厚接触はしてなーい?」部長が聞く。

「濃厚接触?」

「そう、抱き合ったりしてなーい?」

こんな時でも冗談を言う部長。余裕あるな~、さすが部長。。

「してません!😅」と言っといた。

そして、Kさんは今日から10日間休むことになった。

まぁ、Kさんの症状は軽そうなので、そこは心配ないのだが・・

またや、人手不足に拍車がかかる。

復帰してすぐなのに~。ゆっくり体を慣らしたかったのに~😫

9月7日、今度はユニットの入居者さんが熱発。

そして昨日、コロナ陽性となり入院😵

Kさんと接触していた私もPCR検査を受けた。

結果は『陰性』よかった~😂

一応、基礎疾患があるからね。気をつけなければ・・

しかし、復帰してすぐにこれか~。今までこのユニットからはコロナ陽性者出てなかったのに・・

引き寄せた?いやいや、まさか・・

でもだ。自分の世界で起こることはすべて自分が創造した・・と「引き寄せの法則」では考える。

ならば、やはり私がこの現実を創ったのだろうか?

わからない。でも、そういうことなのだろう。

この2日間は、疲れた。。

もう寝よう😴😴😴

職場復帰6日目~台風一過🌀

台風11号が奄美・沖縄地方を通過した後、九州の西の海上へ。

昨日仕事から帰ったのが、19時。

車庫のシャッターの前に、コンクリートブロックを置く。台風接近に備えて。

私が住む地域は、かろうじて暴風域には入らず、被害もナシ。

よかった😊

今日は休日。

仕事も3連勤は、やはりきつかった😫

スタッフも私の体調を気にかけてくれてありがたいが・・

ベッド~車イスへの移乗をやったが、自分の体を持って行かれそうになった。

なんとか足で踏ん張って車イスへの乗せることができたが・・

予想以上に全身の筋力が衰えていることに愕然とした・・🙀

仕事中には感じないが、帰宅してから脚や腰に痛みが。。

半年も介護から離れていたのだから、しょうがない。

それに、そもそも若くはないのだから・・💦

今月のシフトは、日勤帯で入れてもらった。

まずは、職場に慣れる、体を慣らす・・ことが大事だし。

ぼちぼちでいいよね・・と思う反面、、、

早く元のように仕事ができるようにならなければ・・

周りに迷惑をかけないようにしなければ・・・

『~でなければならない症候群』になっている自分に気づく。

悪い癖だ・・

あんなに自分の体を大事にしよう!と決めたのに。。

でも気付いてよかった。

思考の修正をするのだ。

私は、自分を一番大切にすると決めた。

ムリはしないと決めた。

あわてるな。

急いではいけない。

腹を据えろ。

できることをやろう。

ひとつひとつ、やっていくのだ。

人の目を気にするな。

神さまの目を意識しよう。

感謝をしよう。

いつか、貢献するのだ。

私たちは、いろいろな経験をするために生まれてきたのだ。

酸いも甘いも味わってみよう。

それが生きてるってことだから。。

 

職場復帰~みんなの反応は⁉

9月1日、半年ぶりの職場復帰

みんな私の病名を知らない。

私が脱毛していることも知らない。

そんな中の職場復帰は緊張する😨

復帰前日の部長との会話・・。

「部長、バンダナ巻いて仕事してもいいんですよね?」と念を押す。

「いいわよ~、この前あなた、バンダナ似合ってたじゃない~」

「頭の形はいいと思うんですけどね~😅」

自分自身はこの坊主頭は見慣れている。

しかし、みんなはどうだ❓

半年ぶりに帰ってきた同僚のバンダナ姿を見て、「え!」みたいな・・

どうやら、髪がないようだ・・

「どうした?何があった?」って思わない?

部長:「みんな、大人だからね~」

私: 「ですよね~、ああ、そういうことか・・って勘ぐってくれますよね~」

職場でウィッグを被るか、バンダナを巻くか・・ずいぶん悩んだ。

だが、汗をかき動き回る介護現場ではバンダナが快適。

ということでバンダナで職場復帰することにした。

私の所属する入居部は2階にある。久しぶりに階段を上がる。

まずは「看介護職員室」へ。

部長がいた。

「おかえり~!みんな待ってたわよ~!」と明るくお出迎えしてくれた。

そこへ、入浴パートのSさんが入って来た。

「お久しぶり~」とあいさつをする。が、バンダナには触れない・・

数日前、3階のショートステイでコロナのクラスターが出た。

そのせいで、施設内は職員同士の交流が減り、おしゃべりも少なく閑散としている感じだ。

この状況は、今の私にとっては好都合のような気もする。。

抗原検査を終えた後、Bユニットへ。

わー、久しぶりのユニットだ。新鮮な感じ。。

ベテランパートのMさんが見えた。

「ただいまー!おー、Mさん!お久しぶりです」と声をかける。

「もう大丈夫とね?」と体の調子を聞かれ、「大丈夫です!ハゲてますけど~😆」と自ら暴露!

言ってしまった後、気持ちがラクになった😊

おそらく相手もラクになったに違いない。

この後も数人のスタッフと同様にあいさつを交わした。

後で聞いてみたところ、どうやら私がガンかもしれない・・という噂もあったようだし。

そりゃそうだ。こんなに長期間休みを取って、たま~に帽子被って職場に来ているのを見かけたら、ねぇ・・

なーんだ!心配して損した。

私がいない6ヶ月、みんないろいろ妄想してたんだろうな😅

いやいや妄想じゃなくて「心配」してくれていたんだろう。

職場復帰1日目。体力的にもムリはしないと決めていた。

食事介助をしたり、二人介助でオムツ交換をしたり・・の軽作業。

でも、話をしてる時間の方が今日は多かったかな・・

夜、部長からLINEが来た。

「今日は久しぶりの仕事で疲れたでしょう、明日のことは分からないから今を楽しくいこうぜよ!」と。

「いこうぜよ!・・」って・・坂本龍馬か⁉と思わず笑った😁

実は今朝、施設の母体である病院のドクターが急死された。

感染症の専門医だったのに、感染症「劇症型溶血性レンサ球菌」でなくなった。

人食いバクテリア、とも呼ばれる。

部長もこのドクターと懇意にされていたようで、ショックを受けていた。

明日のことは分からない・・とは、この出来事のことを言ってるんだろうな。。

そうだ、誰もが自分の寿命は分からない。

「そうですね。楽しくおもしろく生きていきたいですね」と返信した。

職場復帰~靴が待っていた!

9月1日。久しぶりに職場へ。

今年2/20日、職場を後にしてから半年ちょっとがたつ。

ロッカールームの鍵を回す。

もう帰ってこれないかもしれないな・・死ぬから。

・・なんて、思っていた。

最後の日、仕事が終わり着替えを済ませ、ロッカールームを拭き掃除した。

荷物を、片づけた。すっからかんのロッカールーム。

さっきまで履いてた、仕事用の靴。。

そろそろ捨てて新しいのを買わないといけないぐらい、履きこんだ靴。

捨てようか・・とも思ったが、置いてきた。

死んでしまった後のことを考えると、荷物を残すと職場に迷惑をかける。

でも靴一足ぐらいなら、いいか。

17年通い続けたこの職場。。辞めてやる!と思ったことも多々あったが、いい思い出もたくさんあった。

そういった職場への愛着、自分が存在していた、という痕跡を残したかったのかもしれない。

あれから半年が過ぎた。

ロッカールームの扉を開くと、あの靴があった。

ああ、生きて帰ってこれたんだな・・

しみじみ思った。

忘備録とバンダナ

ガンと分かってから、記録を付け始めた。

1月19日に告知された日からスタート。

ノートは5冊目になった。

今思えば記録を残しておいて良かった。

人の記憶はあいまいだから。

時々、この忘備録を読み返す。

絶望を感じながらも仕事をこなした一ヶ月、入院、手術、入院生活、自宅療養・・

長かったような、あっという間だったような・・

そして、あと6日後には職場復帰。

半年ぶりの職場、体は大丈夫だろうか?体力、筋力ともに落ちている。

最後の抗ガン剤治療から1ヶ月が経とうとしているが、手足のしびれは残っている。

足腰が痛いのは、介護職の職業病、それに老化、療養生活による筋力低下・・によるものだろう。

復帰の最大の悩みは、やはり脱毛したこの頭だ・・😓

事務職なら、この暑さでもウィッグをかぶってできるだろう。

しかし、介護現場で働いたことがある人は分かるだろうが・・

体を使う仕事だから汗の量がハンパない💦

ウィッグなんか被ってられない!

今日、車で買い物に行っただけで、ものすごい汗をかいたのに。

ダイソーでバンダナを買った。

やっぱりバンダナが一番快適だろうな。

人の目は気になるが、最初だけだ。

そのうちみんな見慣れるだろう。

でも、我慢して最初だけはウィッグを被った方がいいのかな・・とまだ決めかねているところだ🙄

浦島太郎な気持ち~職場復帰に向けて

昨日の夕方、勤務先の特別養護老人ホームへ。

自宅療養中は、月一回のペースで訪れていた。

そして、いよいよ来月から職場復帰することになった。

なので、部署や今後の働き方についての話し合いを部長とすることに。。

しばらく雑談した後、部長が「Bユニット勤務をお願いします」と。

「はい、わかりました」と私。

 

実は、デスクワーク(ケアマネ資格あり、相談員が産休で休んでた時1年ぐらい介護職と兼務したことあり。その時はすごい忙しかったな~💦)をしながら、ユニット間を行き来する軽い介護業務から始められないか・・と希望を伝えておいたのだが・・

なぜなら、ひとつのユニットに配属されてしまうと、あれはできない、これはできない・・と言うわけにはいかなくなるから。

結局、自分の体がムリするかな・・と思ったからだ。

「ですよね。。介護は人手不足ですからね」と私。

「人手不足は介護だけじゃないのよ、どの業界もそう。それに、病気は治った!って思わないとね!まずはムリしない程度に二人介助でやったらいいからね」と部長。

相変わらず押しが強いな、部長・・😅

 

でも、部長、これが自分の娘にだったら何と言うのだろう?

「もうムリしなさんな~。そんな職場、辞めちゃいなさい」って、言うかも・・

そう、人は立場や役割で変わる生き物だから・・なんつって!😆

でもね、思うことはある。

私も半年前までユニットリーダーしてて勤務表づくりに苦しんできた。

実際にスタッフがいない状況なら、足りないユニットに人を入れなければならない・・そりゃそうだ!

それに部長にはお見舞いを頂いたりLINEで励ましてもらったり、私的にもお世話になったしな。

ユニットスタッフもこの半年間、超ハードなシフトで働いていたのだ。

みんなのおかげで私は治療に専念できた。

感謝の気持ちは忘れてはいけない✨

だからと言って、自分の体を酷使して働くつもりはない!

自分の体を大事にしようと決めたから。

 

でもどっちがいいんだろうか⁉

世間でいう病み上がりではあるけど、体調は悪くない。

部長が言うように、あまり自分の病気に囚われすぎるのもよくない・・

それに今まで働き方の方が慣れてるからいいのかもしれない・・

メリットもデメリットも両方あることに気づく。

選択肢があった時、どっちを選べばよかったか・・なんて、後になってみないと分からないこともあるしね・・

だから今回は、流れに任せよう!

あーしかし、半年ぶりの職場。

浦島太郎の気分だ😅

上半期を振り返る~卵巣ガン告知

7月に入り今年も後半に入った。

上半期を振り返ると・・大変だった!😫の一言に尽きる。

1/19日、超音波検査、血液検査、MRI検査の結果、卵巣ガンと診断される。T先生(婦人科腫瘍専門医)から、「卵巣ガンですね」と言われた時は「えっ!」と驚いた。まさか、私が?うちはガンの家系じゃないのに・・

受け入れることができなかったなー。今思えば「半信半疑」って感じかな。

そして、先生が「2/22日に手術日、押さえましたから」と言われる。

新型コロナの流行のため、もともと入っていた手術がキャンセルになったらしい。

一か月後が手術か、仕事は、休むことになるか、迷惑かけるなぁ・・。

職場に話してみないと・・という私に先生が「本当ははもっと早い方がいいんだけどね。せめて2週間後とか。でも2/22日しか空いてなかったから」

そんなに急がなければならないほど、病状が悪いということなのか?💦

現実を受け入れられていない私に先生が一言、こう言った。

「もう開き直って」

ガーン!🙀って感じ。まさにガンなんだけど・・

それから、手術までの一ヶ月間は怒涛の日々だった。

私の仕事は、特別養護老人ホームの介護職。

超がつくほど忙しい時や、夜勤中ナースコールを頻回に押す入居者の介護に追われる時、フト、こんなことを思ったりした。

「今のわたし、人の介護どころじゃないよね、自分が介護してほしいぐらいよ~😑」

私の病名を知っているのは、施設長、看介護部長、相談員。

他のスタッフたちには、こんな風に伝えた。

「ちょっと、持病が悪化しまして、2/21日にから入院、手術することになりました。みなさんには本当にご迷惑をおかけすることになりますが、よろしくお願いします」

この病名をやたらに言えない、というのもストレスだったが、他にもあった。

私の右卵巣は10センチの大きさになっていて、破裂する可能性があり、破裂した時は激痛を伴う。

先生から「痛みが激しい時は救急車を呼んで。そして緊急手術になるね」と言われていた。

幸い、右卵巣は手術日まで破裂せず持ちこたえてくれた。

術後の説明で「右卵巣が破れかけていた」と聞いた。

よく持ちこたえてくれた・・と、神様に、そして自分の体に感謝した🙏